独り言の最近のブログ記事

とっても珍しいらしいです。

クワズイモに花が咲きました。

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クワズイモに花が咲くことはそれなりに珍しいらしいです。

実はこのクワズイモ、2001年だったか2002年だったかに会社でプレゼントされたもの。

一度はぽきっと折れてクキだけになったこともありますが、強い生命力で今まで生きてきました。


この花が咲いた4月21日は、我が子の1歳の誕生日。
なんでしょうねぇ、不思議なつながりをとても感じてしまいます。

なんだか、クワズイモがお祝いしてくれたみたいで、うれしいですね。


この花の実がまた新しい生命を生み出して、あたらしいクワズイモが生まれて強い生命力でずっと続いていくんでしょうね。


我が子も、新しい世の中にて、新しい活動をして、新しい世の中を切り開いていくことと思います。

クワズイモと同じように、人に「ありがとう」と言われるような人間になってほしいと思います。

いや、なっていくだろうな。はい。

ウィルコム、手帳に挟んで使う"ネットワーク文房具"「WILLCOM NS」発表

なかなかもって面白いですが、、、これは昔の電子手帳ですね。

そういえば、nintendoDSも出てきたときは「ゲームウォッチのでかいの」、と思いました。

ゲームボーイが出てきた頃、将来的に2つ画面があるゲームウォッチみたいにしたら
携帯性を維持できて画面が大きくなっていいんじゃないか、なんて勝手に思っていました。


少し古いけど、今はない機能を、今の技術や環境、ブームに合わせて変化させると
ヒットになる、そんなねたは多いかもしれませんね。

昔探しが、新サービス探しにつながるかもです。

裏を返せば、若者の発想力ではなくて、おじさんの経験力が新しいイノベーションを
作り出せるということ。


若くても、年をとっても、ビジネスってのはいつでも主役になれる。
だからビジネスって面白いなぁって思います。

人は若くあり続けることはできない、そのことを受け入れること。
会社は若くあり続けることはできるかもしれません。そのことをイメージすること。
社会は回り続けているから古いものも新しくなるかもしれない。そのことを感じること。


少年よ、大志を抱けとクラーク博士は言った。
人間よ、大志を抱け、と今の世の中に叫びたい。


そのまえに、、、自分に向かって、

 大志を抱け。自分に負けるな。環境に負けんな。

だな。

今、ニュースステーションを見ながら書いていますが。

ドバイすごいことになっていますね。バブルとバブルの崩壊。未来都市が破滅する。

最近いろんな会社に行ってこの不況でも好調な会社、なかなか厳しい会社を見ます。大きな会社ほど社員への精神的ダメージが大きいようです。

長い時間をかけても5名、10名で続いていて、一つのことを続けている会社は強いです。なぜなら、それだけずっと一つのことで食べていけているということだから。

一気に成長する企業は一躍脚光を浴びる。
成長速度がゆーっくりな会社は地道に年を取る。

どちらが良いか。当然良い面悪い面ありますね。

私は一気に成長しながらきちんと基盤を固めていきたいと思います。

初心に戻る。いつもそれが大切だと感じます。

自分は米国株を買っている=ウォーレン・バフェット氏
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本当に。買える金があったら買いたいですよ。

私もアメリカは今、買いだと思います。今から半年くらいかけて徐々に買い続けることでしょう。

逆に日本も買いだと思いますが、長期的に見たら日本の伸びは鈍化すると思っています。

アメリカは伸びると思います。

一番大きなポイントは人口の伸びです。アメリカは人口が増えます。日本は人口が減ります。

過去に創ってきた蓄積は一瞬で崩壊する、ということはあっても、ずっと崩壊するということはないでしょう。地震で多くの町が壊されても必ずより強い町としてよみがえります。

アメリカは今買いと思っています。そして、本当に優良な企業の株を買うということですね。

土日、ひさしぶりに時間があるので、ギター弾きながら高校野球を見てしまった。

智弁和歌山対駒大苫小牧。

両校とも強い高校で、期待して家族やら学校関係者やら、スタンドから同校生やら応援している。

結局駒大が勝ったけど、本当に、学生時代の数年間は貴重だなーと思ったわけで。

小学校も中高も大学も。今となっては戻ることができない貴重な時間だったな。

今と学生時代では、自立していかなければならない、お金の問題が一番大きいんだろうけど、それだけではない、あの時間、空間の感覚はもう一度持ちたいね。

酒飲むわけではなく、意味もなく友人の家にいたり。たばこ吸ってみたり。帰りに買い食いしてみたり。ゲーセン行ってみたり。友人の別荘に行ってみたり。車でひたすら走ってみたり。

たぶん、今の仕事ではないのだろうけど。

いろいろと、すべてのことは何かを引き換えにしなきゃいけない。引き換えてよいと思うことも、引き換えてからしまった!と思うこともたくさんあるけど、その場その場でイッチバン最適な道を進んでいこうぞ。

人とのやりとりは非常に難しいと感じた。

こちらが思いやりを持って接していても、相手からしたら迷惑だと思うこともあるわけで。それが親しくなればなるほど少し難しさが増す。

近さは近ければよいというわけではなく、少しの距離とお互いをわかろうとする気持ち、また伝えられる言葉があればきっとうまくいくはず。

言葉にせず、伝えたつもりになっているとなかなかうまく行かないこともあるよね。

難しいことだが、うまくこちらが気を遣って解決できることであれば、気は遣ったほうが良い。気を遣わずに解決できないことのほうが後悔になるわけです。

後悔先に立たず。

昔の人はよく言ったものだわ。

blogを書く理由。


結局、「残したい」んだと結論。

友人、共通の趣味の知り合い、家族、はたまたまったく知らない人、さらには未来の自分、いろんな人が見てる。他愛もないこと、くだらないこと、意味のないこと、まじめなこと、言いたいこと、一人思っていること、ちょっと残したいんだと。

単純。人は忘れる。

未来の自分も含めて、あのころこんなことしてた、って忙しい毎日の中忘れたりするし。写真があっても思い出しきれないし。

今は恥ずかしくても、忘れたころにブログエントリーがタイムカプセルメッセージ。


結局、「伝えたい」んだと結論。

やっぱり面と向かっていえないことってある。
一人では、多くの人に伝えきれないことってある。
こう思っているんだー!って言いたいこともある。
未来の自分に伝えたかったりする。

「伝える」=「伝わる」 → 「相手は理解する」=「何かちょっと変わる(かも)」

間違えた。「伝えたい」よりも「変えたい」んだ。人とか世の中。


自分のためだな、結局。弱いから自己表現したい。

22日のライブの前、マッサージに行きました。原宿から骨董通りまで徒歩。マッサージはASIAS。よかったわ。

さて、そこでひっさしぶりに頭空っぽにして歩いたわけで。ちょっと考えたのだが、原宿と表参道、その境界線ってどこ??明確な道もないもんね。

たぶん地図とかで見たら線があるんだろうけど、個々人の認識にはない。認識になくても生きていけるし、会話も成立するんだけど、たぶん、仕事とかでは、そこの境界線をしっかり共通認識を持つ必要がある。


じゃぁ、俺ココ担当ね。あなたこっちね。

そんな会話でも効率化を求めると、たぶん結構な部分でだぶって仕事をしていることが多々あると思うわけ。


いや、ここまでが弊社の担当分でした。
ここまで行うということは当然ここも担当していることになるでしょ?!

そんな会話でトラブってしまうことも、境界線をきっちり作っておくということが非常に大事だろうと思うわけ。こういうことは多いよね。


きっと仕事はみんな適当にやりたくないからこういうことでもめるんだろうと思う。最短でやれることと最高の効率と抜けのないプロジェクトにするため、境界線と範囲は非常に大事だよね。

仕事大変忙しい。プライベートも結論どうする!?的な話でてんやわんや。音楽は練習する時間が少なく、納得して演奏していない感じ。車も最近触っていなくて、いじっていなくて、10万kmのところで少しメンテナンスしたいところ。

人は心、体どちらがかけてもうまくいかなくなる。病気になる。ウチに入る。マイナス循環に入ってしまう。

人は何か支えてくれる人、物が必要でそれがないと心のバランスが崩れて体に支障が出てくる。支えてくれるのは、人それぞれ。恋人、趣味、家庭、仕事、いろいろ。

人は人を支えたいとも思っている。自分が自分である、ここにいるって実感は相手がいないと感じることができない。物に支えられることはあっても物を支えているって実感はなかなか感じられないもの。

人は昔から宗教という概念に支えられて生きてきた(はず)。それは信じることは何者にも変えられない変えがたいこと。

日本人は多くの場合、無宗教って言われる。でもそれは信じるもの信じること支えられるもの支えられる人、支える人があるということが”真”であれば、それが宗教のひとつなんではないかと思う次第。

大学の宗教論の試験で「宗教とは何ですか?」というシンプルかつ大変難しい問題が出た。宗教とは何ですか?とは何なんですか??!!って感じですが、自分は上に書いたようなことを書いた。試験の設問は2問。片方は無回答。それで確かAの評価をもらった。

自分の考えが人に伝わった気がしてうれしかった。

自分が生きている、この場にいる、人に物を伝えている、そんな実感はコミュニケーションでしかわかりえないこと。一番コミュニケーションが難しくて、人にわかってもらうことが難しいよね。

でもそのコミュニケーションを恋人2人、家族5人、知ってる人1,000人以上?、日本人1億2千万人、人類60億人、その人々とできるっていうその事実が楽しくもあり、うれしくもあり、人に生まれてよかったな、と思う。

どれだけの人に支えられてコミュニケーションをとって、感じて考えて、変わって行って、自分の人生は楽しかったって言えるか。

自分が50年後か60年後か、この世からいなくなるときに、楽しかった、ありがとうって、自分が話した人(この前席を譲ったあのおばあさん、クリーニング屋のおばさん、高校のときに声をかけてくれたホームレスさん、家族、友達、会社仲間、この先に触れ合うすべての人)に感謝していたい。というか絶対感謝している。

自分の人生、納得がいくまでトコトンやるぜぃ。

人事。社員。なかなか労使関係は難しい。できればそんな間には入りたくないが、中間管理職。しかたないか。

上司に嫌われた社員は現場から見たら”今”は必要な社員。でも正社員はないだろうな。だろうだろう。他に代わりが来たら取って代わるくらいの人だろう。今切るべきか。先で切るべきか。

俺に決断を促すな、と思う。でも決断しちゃいたい自分もいる。楽ではない道に進むか、我慢して楽する(いや今でも十分仕事は楽ではないはず)か。

今週決断。

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